朝から花喃が台所に立っていた。その時点で僕としては心配でたまらなかったのだが、「いいから悟能は座ってて」とのことで、様子を覗くことも許されなかった。まあそれは構わないとしても、その言葉に従ってテーブルについてから結構な時間が経つ。……お腹空いたな。
「お待たせ悟能っ」
白いエプロンを身にまとった花喃が、片手に黒いものが載ったお皿、片手に包丁を持って現れた。一見清楚な見た目と、包丁の持ち方のギャップがすごい。
「花喃、包丁気をつけて」
「ごめんね、お腹空いたでしょ?」
涼やかな笑顔だ。甘い匂いが立ち込めている。オーブンを使っている様子もうかがえたし、彼女が作ろうとしているものがチョコ系のスイーツ、それも焼き菓子であることは予想済みだった訳だが。
ざくっ。包丁で切り込みを入れた花喃の手元から、抵抗感のある音がした。
「これはブラウニー……いや、ビスコッティ?」
「何言ってるの、パウンドケーキよ。いいから食べて」
いいからいいからって、何がいいんだ。
思ったことをそのまま口に出さない程度には、僕という人間は賢明だった。切り分けられた断面を見れば、外は固く、中は生焼けなのが解る。添えられたフォークを手に取り、一口口に運んだ。
「どう?」
「……今度から僕が作るよ」
結構正直な僕である。花喃はさっと顔色を曇らせると、自分の皿の上のケーキを齧って、肩を落とした。
「……美味しくないわね」
「中の方は焼けてないけど、この辺とかは美味しいよ」
食べる手を止めずに僕は言った。実際上出来とは言い難いが、味自体は問題ない。
「悟能はずるいわ」
エプロンを外しながら花喃が言う。
「悟能は何でも出来るんだもの。私の立場がないじゃない」
「……何でもなんて」
確かに僕は昔から、一通りを器用にこなすことが出来た。けれどそれは、僕が彼女より優れているということでは決してない。
「僕は何も出来ないよ。……君がいないと」
それは僕にとって、この世界を生きる上での真実だった。思いやりや愛情や、希望や未来、それら全てを、彼女が僕に教えてくれた。
「……そんなことはないわ、悟能」
けれど、酷く大人びた表情で、彼女が言った。