【42℃のお題その1】 お題配布元:42℃のお題

39.涙が消える日


 雨に打たれて濡れ鼠になる僕を、悟浄はその都度わざわざ探しだして連れ帰る。彼は僕の姿を目に入れると必ず舌打ちしたが、僕の腕を乱暴に引くその手から伝わるのは確かに温もりであり、情だった。
 ある時、悟浄の投げたタオルを受け取りながら、僕は訊かれてもいない半生を滔々と語った。悟浄の目にどう映っているのかはわからないが、僕は正気だった。正しく喪失に打ちひしがれ、濡れる為に傘も差さずに雨を受けた。僕が話している間、悟浄は余計な相槌を一切挟まず、黙々と煙草を吸っていた。
「……ま、死にたくもなるよな」
 僕が沈黙してからたっぷり数十秒の間を置いて、悟浄は言った。途中悟浄に促されて、居間のテーブルで向かい合う格好だった。頭に被ったタオルの隙間から、悟浄を見る。濡れた悟浄の髪は、肩に掛けた白いタオルによく映えた。
「……貴方、変わってますね」
「そ?」
「……普通は死んだらいけないって言うんですよ」
 そういえば、三蔵も死ぬのは自由だと言っていた。あの人も変わっている。僕は薄く笑った。
「……言ったところでな。誰もおまえの人生代わってやれねえじゃん」
 さもないことのように悟浄は言い、僕は思い出した。死にたかった?あの時も今も、悟浄は僕のことを何も知らないのに、まるで知っているかのように言葉を紡いだ。僕は、悟浄のことを、何も知らない。
 その時悟浄が、はじめて僕を正面から捕らえた。紅い紅い瞳。
「もし俺が、俺の為に生きてよっつったら、おまえどうする?」
 僕はその言葉の意味と、悟浄が確信を持って尋ねていることを、同時に悟った。視界がたちまち歪み、僕は嗚咽した。何の涙なのかは、自分でもわからなかった。嬉しかったのかもしれないし、もしかしたら悟浄のことを、可哀相だと思ったのかもしれない。
 貴方が望むなら生きるとは、どうしても言えなかった。だけど、それでも生きられないとは、もっと言えなかった。
 悟浄は何も言わない。後から後から、涙は溢れてくる。答えられないことを誤魔化すみたいに、僕はずっと、泣いていた。

 目を覚ますと、僕はテーブルに突っ伏していて、悟浄は記憶のまま、目の前で煙草を吸っていた。カーテンの隙間から辺りが白んでいるのがわかる。泣き疲れて眠っていたのだと悟浄は言った。つっても三時間くらいだけど、と。返す言葉もなかった。
「……何か喉渇きましたね。悟浄、何飲みますか?」
「……じゃ、コーヒー」
 いつも通りの口調だった。僕も、たぶんいつも通りに笑って、立ち上がった。
 悟浄の為にコーヒーを淹れる。少なくとも今、この瞬間は。


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