居間に八戒の姿はなく、奥からは水音がしていた。俺がのっそりと姿を現すと、八戒は振り返って微笑んだ。
「おはようございます。今日は早いんですね」
「……おはよーさん」
「コーヒー淹れるとこなんですけど、悟浄も飲みます?」
「……ん」
寝起きでぼんやりと返答する俺を尻目に、てきぱきとドリップの用意をしている。同居を始めて数ヶ月、台所はすっかり八戒の城だ。
俺は少し迷って、手の中の煙草の箱を弄んだ。
「……坊主がさ。猪悟能は死んだって言ったんだよ」
視線を感じたが、俺は八戒を見なかった。シンクに寄りかかって、手元をみつめる。
「正直、すげえショックでよ。おまえが死にたがってたのは分かってたし、止める権利もありゃあしねえけど、結局何も出来ねえで死なせちまったんだなってさ」
「……」
「おまえが生きててくれて、……もう一度会えて、嬉しかったよ」
しゅんしゅん、とヤカンの沸騰する音が聞こえ始めた。八戒はコンロの火を止めた。
「……急に素直になるのズルくないですか?」
「んー、確かにおめーさんの言う通りだと思ってよ」
八戒は少し笑って、これじゃあズルイのは僕の方ですね、と呟いた。
こぽこぽと音を立てながら、八戒が湯を注ぐ。いつもの、と言えてしまうくらい慣れてしまったコーヒーの薫りが、鼻孔をくすぐった。
俺にカップを手渡すと、八戒は自分の分を淹れ始めた。
「……正直、助けてほしかった訳じゃないんです」
八戒も、俺ではなく、フィルターの中をみつめていた。
「……だろーな」
「でも今は」
八戒の淹れてくれたコーヒーを口に含む。溜め息が出るくらい美味かった。
「でも今は、悟浄に助けてもらえて良かったんだと、思ってます」
一度言葉が途切れた理由を、俺は訊かなかった。興味がなかったからじゃない。訊く必要がなかったからだ。
「……何つーか、似た者同士って奴?」
「……そうですね」
それから俺たちは、台所で並んだままコーヒーを飲んだ。八戒が八戒になってから、こんな風に話すのははじめてだったかもしれない。買い物に出るから付き合ってほしいと言われて、俺は頷く。薄幸美人が俺の隣で、ふわりと笑った。