冬で、少し暖かく、よく晴れていて、どうしようもない日だった。こんな天気に高いところで吸う煙草は格別にうまい。俺が黙々と煙を生産していると、隣に立つ男が、一本いただけますか、と静かに言った。
猪八戒。クラスメイトだが、話したことはほとんどない。休み時間には教室の隅で本を読んでいる、おとなしくて真面目そうな奴だった。俺が屋上の扉を開けた時には既にいて、フェンスの向こう側に立っていた。俺よりも先に。
俺が差し出した煙草を、八戒はやはり黙々と吸っている。イメージにはそぐわなかったが、手慣れているようにも見えた。俺は空を見上げた。青い空を。
「……姉が死んだんです」
隣から聞こえたのは、穏やかで、落ち着いた声だった。
「……へえ」
「愛し合ってました」
「……」
「だけど彼女は、僕を残して自ら命を絶ってしまった。僕には思いも寄らないことでした。何故こんなことになってしまったのか、一体彼女はどれほど苦しんでいたのか、死を選ぶ前に、その苦しみを何故僕に打ち明けてくれなかったのか」
「……」
「……一つ言えるのは、僕には、彼女を生に引き留める力はなかったということでした」
最初から希望がないのと、持っていた希望を失うのと、どちらがつらいのか。俺にはわからないし、わかる日も来ないだろう。この男がよく知りもしない俺に身の上話をする理由は一つしかなく、俺はそれをただ、黙って聴いた。
「……ありがとうございました、煙草」
八戒が俺に笑いかける。まともに顔を見るのはほとんどはじめてだったが、キレイな顔をした男だと思った。姉とやらも、さぞかし美人だったんだろう。
「……いーえ」
「それじゃ、お先に」
「……おう」
間もなく、八戒の姿は俺の視界から消えた。俺は下を見なかった。
煙草を吸えばうまいと感じるし、たまたま隣り合った男と会話して、笑うことだって出来る。でも、それだけだ。
空が青い。
コンクリートを踏みしめて、俺も後に続くか、考える。